宝寿院の歴史

今より1200年前、弘法大師(空海)様が津島に来臨されました。人々が疫病に苦しむを哀れみ薬師如来様を牛頭天王社(現在津島神社)弥五郎殿脇に奉安され、厄疫退散当病平癒の祈祷を勤修されました。以来、信長・秀吉の篤い信仰を受け、神宮寺は宝寿院・実相院・明星院の住職が神宮寺別当職を継承してきました。神仏混合の天王社は、東の津島・西の八坂と称され、全国に末社三千の牛頭天王信仰を支えてきました。

宝寿院案内

宝寿院案内

門先より

門先より

阿吽の像

阿吽の像

明治初年 神仏分離令により仏像・仏具・経巻を当院へ移管

明治初年の神仏分離令は神宮寺に多大の影響を及ぼし、寺の存亡に関わる事となりました。時の宝寿院住職宥三は 僧侶を辞めれば、財産も身分も保証される中で、孤軍奮闘「いかに貧しくなろうとも 仏法捨てがたし」と、一年間寺社奉行へ日参し、神宮寺の存続を訴え、ついに私財を投げ打って宝寿院住坊を買取り、神宮寺の仏像仏画・法具の数々を焼き討ちから守り今に伝えています。

「津島市指定文化財 神仏分離顛末記宥三日記」

地蔵堂

地蔵堂

昭和四十八年 元神宮寺再建に着手

前住職が京都智積院の専修学院を卒業し宝寿院住職に就任したのを機会に、伊勢湾台風で荒廃した寺内を着々と再建に取り掛かりました。昭和49年に地蔵堂を再建し、昭和56年には本堂を再建いたしました。以後、自力で客殿・光明殿・大師堂等を再建し、復興を見届け、平成18年1月13日93才で入寂。

千体地蔵

千体地蔵

宝寿院の現在

平成18年7月初旬より、雪害を受けた地蔵堂の再建を着工し、11月3日落慶法要。円形屋根の銅葺きも鮮やかに完成しました。現在は、厄除け薬師・安産地蔵菩薩を中心とする祈祷寺院です。