宝寿院は明治初期まで津島神社の神宮寺でした。

神宮寺と社僧坊

平安中期に本地仏の思想が広がりました。 これは、日本古来の神々は、単に仏の衆生ではなく、インドの特定の仏・菩薩(本地仏)が日本に現れたもの(権現)とする本地垂迹説です。 この説の普及によって平安末期から鎌倉初期には、主要な神祇にそれぞれの本地仏を定めるようになりました。 津島社においては、このような本地垂迹説の普及と神仏習合の発展の結果、素戔鳴命は牛頭天王、そして牛頭天王の本地仏は薬師如来とされました。

神宮寺とは、神仏習合思想に基づき神に法味を献じる為に建立された寺であり、多くは神社の境内に建てられ社僧が住みました。 神宮寺建立の背景には、はじめ仏法の力で神が業苦から救われるとの思想がありましたが、次第に仏法によって神の威力を増すと言う思想が強まりました。 こうして、中・近世の有力神社の境内に神宮寺があるのは、当然の風景でした。 同様に、大寺院の境内に鎮守社があることもよく見られました。

 津島牛頭天王社境内の弥五郎殿の北には薬師如来を本尊とする神宮寺があり、薬師如来の両脇には日光菩薩・月光菩薩、両檀には十二神将が安置されていました。 鐘楼(梵鐘、応永10年銘)は本殿の東北隅にありました。 その他、宝匡印塔、小堂等の仏閣がありました。

津島牛頭天王社には、社僧十坊がありましたが、江戸時代初期には四坊となり、実相院・明星院・宝寿院そして観音坊がありました。 四寺とも真言宗で大須観音に属し、山号は牛頭山、寺号は神宮寺でした。

 

神宮寺宝寿院

宝寿院は、今も津島神社に隣接し存続しています。 山号は牛頭山千蔵坊宝寿院といいます。 現在の本尊は薬師如来ですが、この薬師如来像は、元々津島牛頭天王社境内にあった本地堂にあったものです。

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