真言宗智山派と総本山智積院

宝寿院は真言宗智山派のお寺です。 本山は京都東山の智積院です。

6月15日16日は「高野山と本山智積院・青葉祭の旅」を計画しております。

ホームページより抜粋し本山の紹介を致します。

「私たちの総本山は智積院(ちしゃくいん)といい、京都の東山七条(ひがしやましちじょう)にあります。智積院は足利時代の中頃、興教大師ゆかりの根来山内の寺院の一つとして、長盛法印により創建された寺院でした。

 興教大師亡き後の根来山は、学徳に秀でた頼瑜僧正(らいゆそうじょう 1226-1304)により大伝法院(だいでんぼういん)や密厳院(みつごんいん)が高野山から移築されいよいよ発展し、天正(てんしょう 1573~)年間には坊舎が2000余も立ち並んだといわれ、政治的にも経済的にも大勢力となります。しかし、この勢力に目をつけたのが豊臣秀吉でした。秀吉は、天正13年(1585)、根来山を攻めると、山内の堂塔伽藍を灰燼に帰してしまいます。この時、智積院の能化であった玄宥(げんゆう)僧正は弟子とともに難を逃れますが、安住の地が見つからないまま、智積院再興の志をもちながら各地を流転したのでした。やっと安住の地を得たのはその16年後のこと。慶長(けいちょう)6年(1601)、徳川家康により現在の京都東山に寺院を寄進され、五百佛山根来寺智積院(いおぶさんねごろじちしゃくいん)を再興したのでした。

 智積院は根来時代の伝統を踏まえ、特に「学山」として教学の研鑚や修行などを厳しく行い、また、他宗の僧侶や一般の学徒にも開放された「学問寺」としての性格を持つ寺として、江戸時代には多くの学匠を輩出するようになります。

 しかし明治時代になると、新政府の神仏分離政策により土地を没収され、また、明治15年(1882)には金堂が焼失するなどの不幸にみまわれます。しかしこれらの困難を乗り越え、明治33年(1900)、真言宗智山派の総本山となったのです。山号を五百佛山(いおぶさん)寺号を根来寺(ねごろじ)といいます。

 こうして弘法大師の教えは高野山から興教大師の根来山に、そして智積院へと脈々と伝えられ、現在、智積院は全国3000の末寺を擁する真言宗智山派の総本山であり、檀信徒の皆さまの総菩提所、総祈願所となっています。」

 総本山智積院 総門

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